我慢しないコーチング起業術|第二の人生を、自分で決める
あなたの人生がうまくいっていないと感じるなら、我慢のし過ぎかもしれません。
- 我慢して、人のために尽くす
- 我慢して、周りに合わせる
- 我慢して、意見を言わない
——それは、幸せになるための我慢ですか。
私は49歳で早期退職し、50歳でコーチングで起業しました。教員を27年やりました。 振り返ると、辞めるずっと前から我慢していました。ただ、当時はそれを我慢だと思っていませんでした。
この記事は、我慢に気づいてから、それを手放して仕事にするまでに私がたどった順番です。 一般論は書きません。私が実際に通った道だけを書きます。
「我慢」だと、気づいていなかった
担任を離れて教務主任になった頃から、私は組織に合わせることが上手な自分になっていきました。
求められれば応える。期待されれば応える。それができる自分に、居場所を感じていたのだと思います。 学校のためになることをしている実感もありました。仕事は面白かったです。
その代わりに後回しにし続けたのが、自分との約束でした。
いつか書こうと思っていたもの。いつか行こうと思っていた場所。いつか始めようと思っていたこと。 どれも「今年は無理だ」で片づけて、翌年もまた片づけていました。 一年ずつなら、たいした量ではありません。それを何年も続けると、自分で決めた記憶がほとんど残りません。
いま振り返れば、あれは我慢でした。
なぜ、あれほど応え続けたのか。長いあいだ、承認欲求だと思っていました。 いまは、少し違う見方をしています。
私は、きっと子どもの頃から怖がりです。
怖がりの人間が社会に出ると、誰かの期待に応えることで安全を確保しようとします。 応えているあいだは、否定されません。居場所も、なくなりません。 私が27年やっていたのは、それでした。
我慢していたことに気づいたのは、退職してからでした。
組織を離れて初めて、自分がどれだけ「求められる自分」を演じていたかが見えてきました。 そのときに出てきた言葉が、これです。
「このままでいいのか」は、年齢のせいではない
40代、50代になると、「このままでいいのか」と考える時期が来ます。 中年の危機、と呼ばれることもあります。
私は、あれを年齢の問題だとは考えていません。
教員だった頃の私は、決められた枠の中で最善を尽くすことが得意でした。担当も、行事も、進め方も、大枠は先に決まっています。その中で工夫して、成果を出す。
27年、ずっとそれをやってきました。
うまくやれていました。うまくやれていたからこそ、枠そのものを自分で決めた経験が、私にはほとんどありませんでした。
40代、50代でしんどくなるのは、年を取ったからではありません。我慢した年数が積み上がって、自分で決めた記憶の少なさに、はじめて気づく時期だからです。
これは、悪い知らせではありません。年齢が原因なら、打つ手はありません。我慢が原因なら、手放せます。

我慢と努力は、まったく違うものです
我慢と努力は、まったく違うものです。
我慢する環境にいると、自分の責任を認めず、他人のせいにすることが増えていきます。 私がそうでした。うまくいかない理由を、いつも自分の外側に置いていました。
起業すると、すべてが自由になります。その代わり、すべての責任を負います。 それでも、我慢はしていません。
努力は、自分に誠実であること。
見分け方は、終わったあとに何が残るかです。
我慢のあとには、恨みと言い訳が残ります。 努力のあとには、次にやりたいことが残ります。
同じくらい疲れていても、残るものが違います。
我慢を手放す順番
「起業術」と書いた以上、順番を書きます。私が実際に通った順番です。

辞めることではなく、「自分で決める」ことを決める
私は、次の当てがあったから辞めたのではありません。 退職を決断したあとに、探し始めました。
順番が逆に見えると思います。それでも、この順番でした。 決めていないうちは、何を調べても「辞めたあと、どうなるか」の材料集めにしかなりません。 決めたから、探せました。
決めた瞬間に、言い訳がなくなりました。
言い訳がなくなると、我慢も消えます。 自分で決めたことに対しては、我慢という言葉が出てこないからです。
いまの仕事も、紆余曲折はあっても、最終的にはあなたが決めたはずです。 仕事も、あなたが自由に決めるものです。
ここで、ひとつ書いておきます。
私はよく、行動が潔いと言われます。即断即決即行動だと。 自分では、逆だと思っています。
怖がりは、いまも変わっていません。 先に延ばすと、怖さは大きくなります。今できることを今やらないと、気が済まない。
変わったのは、怖くても自分で決められるようになったことです。本当の自分のために勇気を出すのに、27年かかりました。
探し回る時間を、惜しまない
退職を決めてから実際に辞めるまでの2ヶ月ほど、私はひたすら探し回りました。
書籍を読み、ネットを調べ、起業塾を見て、コーチングスクールを見て、メンターを探しました。 片っ端からです。当時の私に、目利きの力はありません。数を見るしかありませんでした。
あの2ヶ月は、遠回りではありませんでした。 探し回った末に自分で選んだという事実が、そのあとの全部を支えました。
うまくいかない時期に、誰のせいにもしなくて済んだからです。
我慢を我慢と感じなくする方法は、100%以上の貢献
我慢を我慢と感じなくする方法は、相手に100%以上の貢献をすることです。
大切な人へのプレゼントを思い浮かべてください。 日頃からの観察と、絶妙なタイミング。それが感動をつくります。
スポーツのスーパープレーも、映画のワンシーンも同じです。 創意工夫された価値提供は、大きな幸福をもたらします。
退職したあと、私が最初に開いたのは無料のセミナーでした。声をかけたのは、教え子とその保護者です。 30人が集まりました。
集客の方法を知っていたからではありません。 27年間、目の前の人に手を尽くしてきた関係が、そのまま残っていただけです。
あの場に、我慢はありませんでした。 理想の未来を手に入れたクライアントさんの「ありがとうございます」に勝る高揚感は、いまもありません。
相手にも、我慢させない
コーチの仕事は、クライアントが我慢しているところを見つけて、解決の行動をサポートすることです。
「傾聴・質問・承認」の3要素と言われます。その前に「観る」があります。 ぼんやり眺めるのでもなく、なんとなく見るのでもなく、しっかり観る。
私は、ここで失敗したことがあります。
ドッジボールの監督を15年やりました。最後の全国大会、準決勝の前のことです。 子どもたちは、平常心のまま勝ち上がってきていました。 そこに私が、自分の高ぶりを持ち込みました。鼓舞したつもりで、揺らしてしまいました。
あのとき私が観ていたのは、子どもたちではありません。自分の気持ちでした。
火をつけるのは、指導者の仕事ではありません。 すでに燃えているものを、消さないことのほうが難しいです。
人を待たせたとき、待たされた人はそれを忘れません。 迅速な対応は、誠意そのものです。
コーチングビジネスでは、ここは譲れません。

我慢を手放したあとに起きたこと
きれいな話だけを書くつもりはありません。
辞めた直後、収入はゼロになりました。いちばんきつかったのは、無収入の4ヶ月目です。 出ていくお金だけがあって、入ってくるお金がない。あの時期の感覚は、いまも覚えています。
5ヶ月目に、はじめての契約をいただきました。 6ヶ月目に、月100万円になりました。 10ヶ月目に、メンターへの自己投資額を回収しました。 2年目に、教員時代の年収を超えました。
一つずつ、現実になってきました。
ただ、いちばん変わったのは数字ではありません。毎日が、とても清々しくなったことです。
朝起きて、今日やることを自分で決める。うまくいかなければ、自分の責任です。 その代わり、誰のせいにもしなくてよくなりました。
自分で決めたことが、誰かの役に立った。この2つがそろったとき、人は動けるようになります。 実績が先ではありません。自信が先でもありません。
自己決定 + 自己有用感 = 根拠のない自信
私がクライアントさんに伴走するとき、最初に取り戻してもらうのは、この2つです。 スキルの話は、そのあとで間に合います。
私は、前例です。
まとめ
あなたの人生がうまくいっていないと感じるなら、それは我慢のし過ぎかもしれません。
我慢は、やがて恨みや怒りになり、爆発します。 我慢を手放さない限り、よりよく生きることはできません。
そして、あなた自身が我慢したままでは、クライアントも行動を続けることができません。 行動は、我慢ではなく、幸せな努力だからです。
順番だけ、もう一度書きます。
- 辞めることではなく、「自分で決める」ことを決める
- 探し回る時間を、惜しまない
- 我慢を我慢と感じなくする方法は、100%以上の貢献
- 相手にも、我慢させない
あなたの理想の未来をつかむために、我慢を少しずつ手放していきましょう。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

